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大安町沿革

大安町地域はいなべ市の南西部に位置し、西は鈴鹿山脈を境に滋賀県、南は三重郡菰野町、四日市市と接している。町内の地形は鈴鹿山脈が形成する西部の山地・丘陵と東部の段丘面、員弁川本流とその支流が形成する低地に大きく分けられる。(総面積44.63平方キロメートル)大安町は奈良の大安寺の寺領があったことから、「大安」と名づけられた。
大安寺は聖徳太子が仏教研究の中心地として、道場を創建したのに始まり、「大安」という名は聖徳太子の御願であった「天下太平、万民安楽」に由来している。戦禍の絶えなかった飛鳥の昔、太平の世と住民の安楽を願った聖徳太子の思いが「大安」という名に刻み込まれている。大安町の名の由来はほかにもあり、「大安」が好ましい言葉であること、町域が奈良時代に大和の大安寺の墾田として開発されたことなどにちなんで、梅戸井町と三里村の合併の際(昭和34年4月)に名付けられた。その後、石加村との合併(昭和38年4月)を経て現在の大安町となったとある。大安町には、宮山遺跡を始め縄文時代・弥生時代の遺跡が幾つかあり、また、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)(延喜式神名帳(平安時代)に記載された神社)が4社あるなど、古くからこの地域に人々が住みつき栄えた歴史的にも由緒ある町である。「丹生川」の名は「大安寺伽藍縁起並流記資財帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)」(天平19年(747))のなかに「丹生河」として記載されており、当時は川の名前であったが、いつの頃からか地名となった。「片樋」の名は、僧行基(ぎょうき)が当地を訪れたとき、源太川(げんたがわ)の左岸が絶壁のため漏水が多く灌漑(かんがい)用水が不足しているのをみて、片樋(L型(とい))を作って水を通すように教えられたことから名付けられたと伝えられている。大安町内には100箇所あまりの遺跡が確認されているほか、その昔、伊勢三大寺の一つに数えられた照光寺や、境内に見事な五葉松を抱く常満寺、かつて栄えた永源寺跡など古寺名刹が数多く保護されている。そして無形文化財として照光寺のご開帳をはじめ、弁天祭、水神祭、屋奉祭など、伝統的な祭事も継承されており、昔ながらの習慣にのっとったこれらの祭事から往時をしのぶことができるのも大安町の大きな魅力のひとつとなっている。昭和28年に施行された「町村合併促進法」に基づき、昭和31年9月30日に地域北部の丹生川村と石榑村が合併して石加村となる。昭和34年4月20日には地域東南部にあたる三里村と梅戸井村が合併して大安町が誕生。その後、昭和38年4月1日に両町村が合併して大安町になった。